竹富島

  • 小浜島
  • 新城島
  • 波照間島
  • 竹富島
  • 西表島
  • 鳩間島
  • 黒島

リュウキュウコクタン(黒木)

  • RIMG0111
  • RIMG0106

かつて八重山は、リュウキュウコクタン(ハイノキ科の常緑小高木)の産出で有名でした。三線の柄に使われます。現在では、かなり数が減ってしまったので、リュウキュウコクタンが使われている三線は大変高価なものとなっています。
実はキダヌナイといい、食べることができます。

 

  • 伝統文化
  • 自然
  • 小浜島
  • 新城島
  • 波照間島
  • 竹富島
  • 西表島
  • 鳩間島
  • 黒島

八重山ミンサー

  • RIMG0071
  • IMG_2484

木綿を素材とした織り物の一種で、「ミン(木綿)でできたサー(幅の狭い)帯」のことをミンサーといいます。沖縄県内でもいろいろな織り方があり、熟練した手技と根気が必要とされます。手で締め織ることで、帯に厚みができ、独特の風合いの仕上がりになり、使うほどに体に馴染んでいきます。

今では沖縄といえば思い浮かぶほど有名なこの写真の絣柄は、竹富島が発祥だと言われています。
かつて通い婚が行われていた時代に、女性から男性にミンサーを贈る風習があり、竹富島の女性たちは心を込めてこの柄を織りこんだのです。

 「四つ玉、五つ玉」の絣柄には、「いつ(五つ)の世(四)までも末永く」、
ムカデの足と呼ばれる両耳の白と藍が交互する二列の模様には「足繁く通って来てください」、絣柄を挟む二本の線には「道を踏み外すことなく、愛を育ててほしい」という願いがそれぞれに込められています。

 

  • 伝統文化
  • 手仕事
  • 竹富島

西桟橋

  • 1_06
  • IMG_1727

昭和13年に作られた石造りの桟橋で、昭和25年の拡張工事を経て、現在の姿になりました。全長は約105m、幅は約2m。一番先端付近は勾配のついた荷揚げをする場所があります。(登録有形文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

新里村遺跡

「花城井戸」という井戸を中心に東側と西側に広がる集落遺跡で、竹富島の集落発祥の地といわれています。昭和61・62年度の発掘調査で大量の土器、中国製陶磁器(白磁碗、青磁碗、褐釉陶器)、須恵器、鉄鍋、鉄製のヘラ、刀子(小刀)が出土。東側は12世紀末~13世紀、西側は14世紀に形成された集落であることが明らかになりました。

東側に石積みの跡が出土されています。14世紀の集落にも石積みが残ります。石垣で囲まれた各屋敷と屋敷は通用門(出入口)で結ばれていた集落の形態を知る貴重な史跡となっています。(町指定史跡文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

ミーナ井戸

昔から飲料水の確保に苦労していた竹富島には多くの井戸が残されていますが、この「ミーナ井戸」は集落からアイアル浜へ行く途中にある井戸で、信仰の対象となっており、今でも水を湛えています。(町指定史跡文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

仲筋ぬヌベマの水がめ

新城島で焼かれていたパナリ焼きの水がめと苧麻の種子を得るために、新城島にヌベマという娘を嫁にやったという言い伝えがある水瓶です。(町指定工芸品文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

蔵元跡

蔵元は、1524年ごろに琉球王朝時代に王府が、八重山を統一するために創設した政庁(役所)の跡です。竹富町出身の西塘を竹富大首里大屋子(タケトミウーシュリウーヤク・頭職)に任命し、統治させました。
竹富島での蔵元は、20年間続き、約200坪の屋敷跡や、高さ1.5m程の野面積みの石垣は東と南に現在も残っています。八重山の貴重な旧跡です。(沖縄県指定史跡文化財)

 

 

  • 伝統文化
  • 竹富島

西塘御嶽

  • IMG_1691

竹富島が生んだ偉人・西塘が島の守護神・学問の神として祀られています。西塘は首里王府に25年間仕えた技師で、1519年首里の園比屋武御嶽の石門築造で活躍。1524年ごろ、竹富大首里大屋子という頭職に任ぜられ、八重山諸島の統治にあたりました。この御嶽は彼の屋敷跡であり、埋葬地でもあります。(沖縄県指定史跡文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

竹富島伝統的建造物群保存地区と 旧与那国家住宅

  • IMG_4262
  • IMG_4267
  • IMG_4276

屋敷内の伝統的な構成と配置に珊瑚礁のグック(石垣)に取り囲まれた伝統的な屋敷の中心に居室・寝室としてのフーヤ(主屋)が建ち、その西隣に炊事棟(トーラ)が位置しています。家屋の外観は、木造(貫屋造)・平屋の構造と、琉球赤瓦葺き漆喰塗りまたは茅葺の寄棟屋根、木板張り・木板雨戸の外壁、軒の深さと低さなどが特徴です。(国選定重要伝統的建造物群保存地区)

旧与那国家住宅は、伝統的な間取りの「ふーや」(主屋)と「とーら」(台所棟)を中心とする住宅の構えを良好にとどめており、また竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区の核となる住宅で、竹富島における近代の住居形態と生活様態を理解するうえで、高い価値があるとされています。(国指定重要文化財)

  • 伝統文化
  • 竹富島

御嶽(ムーヤマ)

竹富島には、主要な御嶽、拝所が28か所あり、御嶽以外の拝所を含めると80か所あまりあるといわれており、その数は非常に多いといえます。

竹富島の伝統的な信仰の中心は、ムーヤマと呼ばれる御嶽です。ムーは数字の「六」、ヤマは「山」で、六つの御嶽を中心とした信仰です。
ムーヤマとは、玻座間御嶽、仲筋御嶽、幸本御嶽、久間原御嶽、花城御嶽、波利若御嶽の六つを総称した名称です。ムーヤマの由来には諸説があります。

  • 伝統文化
  • 暮らし
  • 伝統文化
  • 手仕事
  • 島の食
  • 暮らし
  • 自然
竹富島の地図を見る
シンポジウム・民俗芸能保存会公演「竹富町 島々の民俗芸能」開催
竹富島ツアー 2013年1月
  • 竹富島
  • 黒島
  • 小浜島
  • 新城島
  • 波照間島
  • 西表島
  • 鳩間島