太平洋戦争後間もないころまで、竹富島では、蚕で絹糸を、芭蕉や苧麻を育て、糸を紡いで手ぬぐいから寝巻きまで、なんでも織って作っていました。原料の栽培から仕立てまでのすべてを女性の手によるものでした。戦前は、どの家からも機の音が聞こえたもので、島の女性たちは寝るのも惜しんで競うように機織りをしていました。つまり、島の暮らしの中で染め織りは女性のたしなみだったのです。女性たちは、母や祖母の手伝いをしながら、自然と身につけていきました。
ところが、小さなサンゴ礁の島で山のない島では、戦争のときに薪として多くの機を燃やさなくてはならず、戦後、機の音が聞こえなくなった時期もありました。その後、織り物の復活が図られ、今ではたけとみ民芸館を拠点に伝統工芸の技の継承が行われています。