黒島

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イヌムル

歴史的建造物の一つで、琉球王府の王族の近親を指す按司(あんじ)の居城跡です。領主という意味でもあります。

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神山家住宅

東筋集落の民家。主屋は南面する敷地の中央に南向きに建てられています。行7間、梁間5間の規模で、寄棟造、赤瓦葺、木造平屋建です。
一番座を8畳間として仏壇を付属し、脇に小規模な床の間を構えています。
元は茅葺で、軒を低く造る古い形式をもち、離島の古い民家形式を知る上で貴重な文化財です。(有形登録文化財)

石垣は、両端を切石の木端建とし,西辺や出隅部は大きめの石を用いるなど景観に配慮したつくりとなっています。
石垣門部の西方には、昭和13年6月に建設された鉄筋コンクリート造貯水槽があります。
屋敷地西南隅には、直径0.9m、深さ4.2mの掘り抜き井戸があります。
(有形登録文化財)

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番所跡

八重山群島が薩摩藩の支配下におかれていた時代に、八重山群島の総元締である蔵元(行政庁)の末端機関、村番所跡(役所跡)がありました。当時の番所は、人頭税の徴収や島に出入する船舶の荷役の管理・統制等を行っていました。(竹富町指定史跡文化財)

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黒島の人口の移り変わり

黒島はマラリアの原因となるハマダラカが生息していなかったため、人口は年々増えていきました。しかし、耕作地が少なかったため、他島への移住がたびたび行われました。1703年には鳩間島に60人、1711年には石垣島・平久保村へ167人、1732年には石垣島・野底に400人余、石垣島・真栄里村に313人、1771年には167人が石垣島・伊原間に移住しました。

1857年には黒島村の人口が1,550人に増え、耕地面積と人口との釣り合いがとれず、そのうえ人頭税の負担に苦しみ、村行政上の支障が多かったことから、役人が協議し、人口150人を上原(西表)、200人を名蔵(石垣)、50人を浮海に移住させました。
移住は、島の十字路に杖を立て、倒れた側の住民が移住させられるという乱暴なものでした。石垣島の野底への移住を決められてしまった娘マーペーは、愛し合っていた青年カニムイと別れることになり、野底に移住してからも、黒島とカニムイが恋しく、やがて、野底岳で黒島の方角に向かって立ちつくし、石になってしまったという民話があります。野底では、マラリアで多くの移住民が亡くなったため、悪い病気を振り祓うために黒島の唄を歌い、祭が行われるようになりました。マーペの哀しい物語は、チンダラ節として、今も歌い継がれています。

  とぅばらまとぅばんとぅや      あなたと私は
  やらびから遊とぅら         幼い頃からの遊び友達でした
  かぬしゃまとぅくりとぅや      おまえと私とは
  いみしゃからむちりとぅら      幼い頃からの親しい仲でした
  天からぬぴきめうるオヤキ星で    天上を渡るオヤキ星は
  いそかやならぶれば定めうり     夫婦の仲が定められて)
  いかゆんでどしかりるとばらまと   一年に一度行き会う
  ばんとやふれさたいかひみゆな    私達は会うこともできない

現在の黒島は、約200人の人口です。

 

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八重山の芸能の成り立ち

八重山の芸能は、他の地域と同様、信仰を軸にしながら、農耕生活の過程において生まれ、発達してきました。

沖縄全体に共通する要素として、「御嶽(ウタキ)信仰」が原始共同体の中心にあったことが挙げられます。沖縄が狩猟採集生活から農耕を主体とした生産経済へと移っていたグスク時代(12~15世紀)、人々は台地上に集落をつくり、村の守り神を祀った聖域として構えたのが「御嶽」です。

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八重山における芸能

八重山における芸能は、神遊び、舞踊、演劇、太鼓、歌謡などがあり、内容は多岐に渡りますが、神に捧げる奉納舞踊がそのほとんどです。これらを大別すると、
1.首里王府の保護のもと士族層によって育まれてきた「古典芸能」、
2.諸島の村々で暮らす庶民により育まれ、ムラの祭りの場を中心に発達し伝承されてきた「民俗芸能」、
3.明治の廃琉置県後に商業演劇を通じて成立した「大衆芸能(雑踊)」
となります。ただし、これらは明確に区分されるものではなく、相互に影響しあいながら歴史的に展開してきました。

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月桃(ゲットウ)

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竹富町の町花で、昔からサミン花として親しまれてきました。ミョウガ科の多年草です。葉は香りがよいため、包皮として、茎は繊維として民具などに材料として使われています。実を軒下にぶら下げておくと虫除けになるといいます。

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アダン

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トカラ列島以南に分布するタコノキ科の常緑低木。砂地の海岸低木林の最前線に自生し、防風の役割も。雌雄異株。葉は帽子や筵、草履や民具などに使われます。木の根は、カゴなどに、果肉は食べることができます。白い新芽の部分は茹でたり、炒めたりして食べます。法事には欠かせない料理の一つです。
ヤシガニの好物です。地上の茎から出るアダンの気根が多い年は雨が多い凶年だと伝えられています。

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テリハボク

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熱帯地方の海岸に広く分布し、防風林としても植えられているオトギリソウ科の常緑高木です。葉が光沢をもっているため、照葉木と呼ばれています。種子の油は灯用や薬用として、材は建築、家具材にできます。ヤラボともいいます。

 

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福木(フクギ)

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オトギリソウ科の雌雄異株の熱帯性常緑高木で、沖縄地方では街路樹としてよく見かけます。島では、風よけに家の周囲に屋敷垣として植えられていることが多いです。沖縄を代表する黄色の染料植物です。樹皮を煮だして、染液にします。風雨に耐えた木ほどよい色が出ると言われています。季節によっては、枝や葉も使います。黄色に藍をかけて、美しい緑色を出します。

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シンポジウム・民俗芸能保存会公演「竹富町 島々の民俗芸能」開催
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