竹富島の人口は、1651年時点で209人とされています。のち1694年に中国からサツマイモの種子が伝わったといわれ、これが大きな要因となって人口が増加したとみられています。
1711年、竹富島・新城島から西表島仲間村への「寄百姓」(=強制移住)が行なわれました。以後、竹富島から他島への移住は断続的に続き、1900年を過ぎるまで石垣島、西表島などへの移住が行なわていました。「寄百姓」を出した背景には、人口増加による耕作地の不足、それによる食糧不足などが挙げられます。明治期の竹富島の人口は増加傾向がみられ、「寄百姓」はなおも続きました。
(参考)明治期の竹富島の人口
1880年 133戸・783人(男314人・女469人)
1894年 153戸・956人(男423人・女533人)
1903年 175戸・1,115人(男510人・女605人)