琉球王府時代の1800年ごろに、第14代尚瀬王の侍女に召されて首里に上がった島の美女・南川田於那利は、大阿母という最高の神職を得て、島に帰ってきました。国王は、於那利に40人の役人をつけ、丁重な処遇を命じました。於那利の衣装及び茶器が、稲福家に保管されています。(竹富町指定工芸品)役人たちは、於那利のおかず採取用として、島人に魚垣をつくらせました。(魚垣の項を参照)