小浜島

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リュウキュウコクタン(黒木)

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かつて八重山は、リュウキュウコクタン(ハイノキ科の常緑小高木)の産出で有名でした。三線の柄に使われます。現在では、かなり数が減ってしまったので、リュウキュウコクタンが使われている三線は大変高価なものとなっています。
実はキダヌナイといい、食べることができます。

 

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八重山ミンサー

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木綿を素材とした織り物の一種で、「ミン(木綿)でできたサー(幅の狭い)帯」のことをミンサーといいます。沖縄県内でもいろいろな織り方があり、熟練した手技と根気が必要とされます。手で締め織ることで、帯に厚みができ、独特の風合いの仕上がりになり、使うほどに体に馴染んでいきます。

今では沖縄といえば思い浮かぶほど有名なこの写真の絣柄は、竹富島が発祥だと言われています。
かつて通い婚が行われていた時代に、女性から男性にミンサーを贈る風習があり、竹富島の女性たちは心を込めてこの柄を織りこんだのです。

 「四つ玉、五つ玉」の絣柄には、「いつ(五つ)の世(四)までも末永く」、
ムカデの足と呼ばれる両耳の白と藍が交互する二列の模様には「足繁く通って来てください」、絣柄を挟む二本の線には「道を踏み外すことなく、愛を育ててほしい」という願いがそれぞれに込められています。

 

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明和の津波とナンダニの一本松

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明和8年旧暦3月10日(1771年4月24日)午前8時ごろ、八重山群島全域を揺るがす大地震が起き、大きな津波が押し寄せました。地震の規模はマグニチュード7.4、震源地は石垣島の南南東40kmという近さでした。石垣島宮良牧中で85.4mに達したとされています。

小浜島では、住民1900人のうち、公務で石垣島に出かけていた9人が犠牲となりました。小浜島は島全体が高く、中央に99.4mの大岳(うふだき)があり、被害が少なくてすんだようです。が、海岸の水田地帯には、津波が押し寄せたため、海水に浸かった水田地帯をナーンダニと呼びようになりました。「ナン」は八重山の古い言葉で津波のことで、ナーンダニとは、津波の田という意味です。ナーンダニの一本松(リュウキュウマツ)のところまで大きな波が押し寄せてきたということが言い伝えられています。昔のデートスポットでもあります。
この道が、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で一躍有名になり、両側がサトウキビ畑のため「シュガーロード」と名付けられました。ところが、島内に1990年代には94ヘクタールあったサトウキビ畑が、2008年には49ヘクタールと半減してしまいました。両側にあったサトウキビ畑も、現在は牧草地が多くなっています。

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御嶽(ワン)

現在、小浜島には、東山御嶽(アールヤマ)に二か所、西山御嶽(イリヤマ)に3か所、仲山御嶽(ナカヤマ)に3か所の合計8か所のワンがあります。
東山御嶽の嘉保根御嶽(カフニワン)で、小浜島三大行事の一つである結願祭が行われます。

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南川田於那利の衣装と茶器

琉球王府時代の1800年ごろに、第14代尚瀬王の侍女に召されて首里に上がった島の美女・南川田於那利は、大阿母という最高の神職を得て、島に帰ってきました。国王は、於那利に40人の役人をつけ、丁重な処遇を命じました。於那利の衣装及び茶器が、稲福家に保管されています。(竹富町指定工芸品)
役人たちは、於那利のおかず採取用として、島人に魚垣をつくらせました。(魚垣の項を参照)

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カンドウラ石

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雨乞祈願に使われた石。大岳(うふだき)から、転がして、カミナリの音をまねることで、雨乞いをしました。雷石、霊石。(竹富町指定史跡文化財)

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稲福筑登之正装

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稲福家の衣装。(竹富町指定工芸品) 稲福筑登之(いなふく ちくどぅん)は、1700年中期から1800年初期の人物。屋号はイナフクヤ。

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大盛家住宅

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1915(大正4)年の建築で伝統的民家の形式が踏襲されています。南下がりの敷地のほぼ中央に南面して建つ木造平屋建で建築面積は114平米です。桁行5間半、梁間4間半の寄棟造平入。屋根は琉球赤瓦葺、目地漆喰塗、南面と東面に縁がついています。NHKドラマ「ちゅらさん」では「こはぐら荘」として使用されました。(有形登録文化財)

<ヒンプン>
門口と母屋の間の石垣や植栽、竹の網などの遮蔽物のことをマイマーキィスィといい、中でも石垣のことをヒンプンと呼んでいます。大盛家のヒンプンは、長さ6メートル、幅0.6メートル、高さ1.65メートルで、サンゴ石灰岩を加工したもの。当時の石工の技術力の高さがうかがえます。
<石垣>
家を取り囲む石垣は、延長65.3メートル、高さ1.7メートル、幅0.8メートルの石垣。石積みの形式は野面積みで、コンクリートブロックに積み替えられた東側以外の3方は良好に保存されています。
<井戸>
直径1メートル、深さ約7メートルの掘り抜き井戸で、サンゴ石灰岩を円形となるように6分割して切り出し、加工した円柱からなります。縦約1.7メートル、横約2.4メートルの洗い場が付属しています。

 

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小浜家のヤーマヤスキィ

小浜島の集落を現在の場所に定めたと伝えられる小浜目差加武多が晩年を過ごしたとされる屋敷の跡。「ヤーマヤスキィ」は「小さな家」の意です。

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節定め石

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この石に十二支の順に穴が掘られており 小浜島の人々はその石の穴と星(ムリ星)との方角等によって農作物の作付時期等を定めたと伝えられています。(竹富町指定史跡文化財)

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シンポジウム・民俗芸能保存会公演「竹富町 島々の民俗芸能」開催
小浜島ツアー 2012年11月
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