13~17世紀にかけての遺跡からは、地元産の土器のほかに、中国製を中心とする陶磁器が大量に出土することから、海外との交易が活発に行われていたと考えられています。
農耕も行われるようになり、生産性が向上するのに伴って集落の規模も、次第に拡大し、各地域を治める首長たちが現れ、群雄割拠の時代を迎えました。やがて、その中から、八重山全域に勢力を広げていったオヤケアカハチが登場し、琉球王府との衝突を起こしたオヤケアカハチの乱を経て、琉球王国の一部に組み込まれていくことになります。
ウティスク遺跡は、琉球石灰岩を基盤とし、東側から南にかけて急な崖になっていて、崖下には沢が流れています。丘の頂上には狭い範囲だが平たん地があり、そこをとり囲むように石積みが積み巡らされていて、防御的な機能を果たしていたと考えられています。
2004年に竹富町史跡に指定されました。(参照元:竹富町史第3巻 小浜島)