竹富島

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染織

太平洋戦争後間もないころまで、竹富島では、蚕で絹糸を、芭蕉や苧麻を育て、糸を紡いで手ぬぐいから寝巻きまで、なんでも織って作っていました。原料の栽培から仕立てまでのすべてを女性の手によるものでした。戦前は、どの家からも機の音が聞こえたもので、島の女性たちは寝るのも惜しんで競うように機織りをしていました。つまり、島の暮らしの中で染め織りは女性のたしなみだったのです。女性たちは、母や祖母の手伝いをしながら、自然と身につけていきました。

ところが、小さなサンゴ礁の島で山のない島では、戦争のときに薪として多くの機を燃やさなくてはならず、戦後、機の音が聞こえなくなった時期もありました。その後、織り物の復活が図られ、今ではたけとみ民芸館を拠点に伝統工芸の技の継承が行われています。

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イイヤチ

イイヤチとは、「イハツ(飯初」という言葉が変化したものだと言われています。種子取祭に糯粟、糯米、小豆を混ぜて炊き、イビラという大きなヘラで練上げて作ります。かつては、祭事で多忙を極めるため、奉納芸能を行う前後の日はほとんどイイヤチだけで食事を済ませていましたが、サツマイモが常食であった時代には、最高のご馳走だったそうです。島では、今も、祭のために粟を栽培しています。

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司馬遼太郎も訪れた喜宝院蒐集館

「街道をゆく6 沖縄・先島への道」の中で、「寺といっても寺院建築ではなく、普通の村の家の一つである。住まいそのものが寺になっているわけで...」と書かれているのが、日本最南端の寺、喜宝院です。先代の住職が生涯をかけて蒐集した4000点を超える民俗資料が、寺に併設されている蒐集館に展示されています。竹富島で実際に使われていた民具や農具、有史以来の沖縄の硬貨など、貴重な収蔵品もあり、竹富島の歴史文化を知るうえで一度はぜひ、足を運んでみましょう。

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デイゴを救おう!

3月から4月にかけて、原色の赤が島を彩るデイゴの花は、沖縄県の花でマメ科の落葉高木です。伝統的な舞踊「竹富育ち」には、「真っ赤なデイゴの花咲く島によ 若き乙女も花も咲く」と歌われています。ところが、この数年、デイゴヒメコバチという虫が寄生し、木を枯らせてしまうという被害が沖縄県全土に広がっています。竹富島には156本のデイゴの木があり、この木を救おうと島民一丸となり、2010年1月、「竹富島のデイゴを救おう実行委員会」を立ち上げ、防除のための薬剤注入をいち早く実施しました。薬剤の注入は毎年必要となるため、島民だけでは資金が足りず、広く島外の人々にも呼びかけています。

八重山毎日新聞記事 http://www.y-mainichi.co.jp/news/19824/

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グック(屋敷囲い)

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竹富島の美しい景観の一つである家を囲っている石垣は、グックと呼ばれ、隆起サンゴ礁の島を形成しているサンゴ石灰岩が野面積みされたものです。幅は約70cmほどで、両側に大きい石を積み上げ、その間にバタイシ(腹石)を入れて強化します。昔の茶碗のかけらや貝殻が入っていることもあり、石垣のタイムカプセルでもあります。

太陽がまぶしく照り返す珊瑚を砕いた白砂の道は、島の人々が早朝から、掃き清めるのが日課となっています。

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ドラゴンフルーツ

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島々の生垣でよくみかけるサボテン科の植物です。赤い実がなります。

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パパイヤ

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どの島でも家々の庭や道に生えていて、一年中実をつけます。野菜として、果実として、いろいろに利用されています。

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ヤシガニ

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体重が1.3kgにもなる陸棲のヤドカリの一種です。夜行性で昼間は海岸の岩の割れ目や穴に潜んでいます。ヤシの実を食べるのでヤシガニを名付けられていますが、八重山ではアダンの実などを食べます。ハスノギリの下のヤシガニは毒を持つとも言われ、たまにアタることもあるので気をつけましょう。
呼び名は、マコン、ヒヤ、カンタガレーなど、島により異なります。

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カー(井戸)と米づくり

竹富島は昔から水に恵まれず、島の人々は天水と井戸を頼りに生活を営んできました。旱魃のときには、石垣島や西表島から水を運ぶという想像もつかないほどの困苦を味わってきたのです。米を栽培するためにも西表島まで舟で出かけていかなければなりませんでした。島人たちの悲願であった水道事業が完了したのは1976(昭和51)年。石垣島からの海底送水が実現し、長い間の水飢饉から開放されました。水の大切さを知る島人たちは、今でも、年中行事の「節願い」の時に、井戸を参拝し、大切にしています。

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種子取祭(タナドゥイ)

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竹富島の種子取は粟の播種儀礼で、600年の歴史があるといわれています。節祭から49日目にあたる戊子(つちのえね)の日を祭日とし、旧暦の9~10月に10日間にわたって行われます。戊子には「火の神」「農業の神」に種子取の祈願をし、「飯初」(粟餅)を作ります。
己丑(つちのとうし)には清め精進(ンガソージ)し、7日目の庚寅(かのえとら)と8日目の辛卯(かのとら)の両日に「庭の芸能」「舞台の芸能」を奉納し、残る2日間で祭のしめくくりをします。奉納芸能1日目は、夜を徹して、各家庭を巡り「ユークイ」を行います。
竹富島の種子取祭は、娯楽的な演劇などもはさみながら次々に奉納され、芸能そのものが竹富島の歴史を語る仕組みになっています。

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シンポジウム・民俗芸能保存会公演「竹富町 島々の民俗芸能」開催
竹富島ツアー 2013年1月
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