黒島

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黒島の人口の移り変わり

黒島はマラリアの原因となるハマダラカが生息していなかったため、人口は年々増えていきました。しかし、耕作地が少なかったため、他島への移住がたびたび行われました。1703年には鳩間島に60人、1711年には石垣島・平久保村へ167人、1732年には石垣島・野底に400人余、石垣島・真栄里村に313人、1771年には167人が石垣島・伊原間に移住しました。

1857年には黒島村の人口が1,550人に増え、耕地面積と人口との釣り合いがとれず、そのうえ人頭税の負担に苦しみ、村行政上の支障が多かったことから、役人が協議し、人口150人を上原(西表)、200人を名蔵(石垣)、50人を浮海に移住させました。
移住は、島の十字路に杖を立て、倒れた側の住民が移住させられるという乱暴なものでした。石垣島の野底への移住を決められてしまった娘マーペーは、愛し合っていた青年カニムイと別れることになり、野底に移住してからも、黒島とカニムイが恋しく、やがて、野底岳で黒島の方角に向かって立ちつくし、石になってしまったという民話があります。野底では、マラリアで多くの移住民が亡くなったため、悪い病気を振り祓うために黒島の唄を歌い、祭が行われるようになりました。マーペの哀しい物語は、チンダラ節として、今も歌い継がれています。

  とぅばらまとぅばんとぅや      あなたと私は
  やらびから遊とぅら         幼い頃からの遊び友達でした
  かぬしゃまとぅくりとぅや      おまえと私とは
  いみしゃからむちりとぅら      幼い頃からの親しい仲でした
  天からぬぴきめうるオヤキ星で    天上を渡るオヤキ星は
  いそかやならぶれば定めうり     夫婦の仲が定められて)
  いかゆんでどしかりるとばらまと   一年に一度行き会う
  ばんとやふれさたいかひみゆな    私達は会うこともできない

現在の黒島は、約200人の人口です。

 

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