黒島

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伊古桟橋

島の北東にある、1924年(大正13年)に建設された木造の桟橋が、台風で壊れたあと、1935年(昭和10年)にコンクリート造で建設されました。延長354m、幅員4.25m。途中に台風で崩壊している箇所があり、現在は桟橋としては使われていません。(有形登録文化財)

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イヌムル

歴史的建造物の一つで、琉球王府の王族の近親を指す按司(あんじ)の居城跡です。領主という意味でもあります。

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神山家住宅

東筋集落の民家。主屋は南面する敷地の中央に南向きに建てられています。行7間、梁間5間の規模で、寄棟造、赤瓦葺、木造平屋建です。
一番座を8畳間として仏壇を付属し、脇に小規模な床の間を構えています。
元は茅葺で、軒を低く造る古い形式をもち、離島の古い民家形式を知る上で貴重な文化財です。(有形登録文化財)

石垣は、両端を切石の木端建とし,西辺や出隅部は大きめの石を用いるなど景観に配慮したつくりとなっています。
石垣門部の西方には、昭和13年6月に建設された鉄筋コンクリート造貯水槽があります。
屋敷地西南隅には、直径0.9m、深さ4.2mの掘り抜き井戸があります。
(有形登録文化財)

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番所跡

八重山群島が薩摩藩の支配下におかれていた時代に、八重山群島の総元締である蔵元(行政庁)の末端機関、村番所跡(役所跡)がありました。当時の番所は、人頭税の徴収や島に出入する船舶の荷役の管理・統制等を行っていました。(竹富町指定史跡文化財)

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古道 ピサダ道

今から約500年前の西表島の英雄、慶来慶田城用緒が屋敷を構えたと伝えられる町指定史跡「慶来慶田城翁屋敷跡」と、町指定有形民俗文化財「大平井戸(ウヒラカー)」を結ぶ石畳が敷かれた古道がピサダ道です。
現在は、祖納集落の下村から上村の耕作地へ通うのに利用されており、集落に密接した「歴史の道」であり、人々の生活を支え続けてきた貴重な史跡だといえます。(竹富町指定史跡文化財)

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慶来慶田城翁屋敷跡

平家の末裔と言われる慶来慶田城用緒(けらいけだぐすくようしょ)は、1500年前後に祖納の上村に移り住み、石垣島の平久保加那按司(ひらくぼかなあじ)を征伐したといわれています。また、首里王府に反旗をひるがえしたオヤケアカハチの戦い(1500年)でも活躍するなど、祖納の英雄を偲ぶ史跡として大切に守られています。(竹富町指定文化財)

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大竹祖納堂儀佐屋敷跡

西表島西部、祖納上村にある大竹祖納堂儀佐(おおたけそないどうぎさ)の屋敷跡。大竹祖納堂儀佐は15世紀ごろ、大陸方面より鉄を輸入し、鍛冶をしていました。一夜にして与那国島まで舟を漕いで戻ってきたと言われており、与那国島を支配下におくことに成功したとされています。祖納部落の神行事のすべては彼を祀った大竹御嶽を中心に催されています。(竹富町指定史跡文化財)

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沖縄最古の住宅 新盛家住宅

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祖納集落にある木造茅葺きの古民家。
沖縄県内に現存する最古の住宅で築年数は300年と推定される茅葺の家です。平たく薄いテーブルサンゴを幾重にも積み重ねたグシク(石垣)ト防風林のフクギに囲まれた平屋の家は、沖縄の木造建築の古い形式である「貫屋(ヌキヤ)とよばれる建築様式です。建材は、キャンギ(イヌマキ マキ科の常緑針葉高木)を、萱を乗せるキチ(乗木)はプシキ(ヒルギ)を、それを固定する縄はマーニ(コミノクロツグ)を使用しています。
平成12年に修繕され、現在は西表郷土文化伝承館として活用されています。
(沖縄県指定建造物)

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カンドウラ石

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雨乞祈願に使われた石。大岳(うふだき)から、転がして、カミナリの音をまねることで、雨乞いをしました。雷石、霊石。(竹富町指定史跡文化財)

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稲福筑登之正装

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稲福家の衣装。(竹富町指定工芸品) 稲福筑登之(いなふく ちくどぅん)は、1700年中期から1800年初期の人物。屋号はイナフクヤ。

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シンポジウム・民俗芸能保存会公演「竹富町 島々の民俗芸能」開催
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