幕末から明治に至ること、石炭は重要な燃料として徐々に注目されるようになりました。琉球王国、薩摩藩、黒船でやってきたペリーなどが西表島に石炭があることを知るところとなり、明治12年に琉球王国が崩壊し、ついに明治18年から三井物産によって炭坑開発が本格的に始まりました。以後、第二次世界大戦が終わるまでの60年間、日本各地から集められた人夫たちがマラリアに苦しめられながら、過酷な労働を強いられる場となりました。宇多良(うたら)炭坑は、島最大の炭坑で、映画館や芝居小屋などがある炭坑村として栄えた時期もありましたが、資源の枯渇と終戦でその幕を閉じることになりました。
(参考資料:西表島エコツーリズム協会編「西表島エコツーリズム・ガイドブック ヤマナカーラ・スナピトゥ(ヤマ・カワ・ウミ・ヒト)」)