島は「果報ぬ(かふぬ)島」といわれ、河川をもたない小さな島にしては地形の起伏、地質などの変化に富み、湧き水が多く、各戸に井戸が掘られ、水利条件はよかったといえます。とはいえ、干ばつになれば井戸水に頼る生活で、土壌に保水力がないため、水の確保は大きな課題でした。水の豊富な西表島からの海底送水が実現したのは1979年(昭和54)でした。日本復帰前後をピークとして、土地改良事業を主としたさまざまな工事が繰り返され、地形は大きく変えられ、湧水や泉の多くが消失しています。